秋田市 齋藤佛師ホームページ

由利郡大内町佛像調査(2)

齋藤 雅幸 平成9年3月21日

由利郡大内町佛像調査(2)

1)伝・烏天狗の法

2)像姿

3)像名は

4)迦樓羅について
    総高さ 1尺8寸5分 1860o
     身 丈  1尺1寸   1030o
     巾    1尺1寸    425o
     寄木造り・檜材
     岩座・幅 9寸5分 奥行き 4寸 高さ 最高部 7寸 安置部 4寸
     下框 幅 1尺1寸 奥行き 4寸3分 厚さ 8分
  

 像姿は、
檜材を用い、寄木作りです。岩座、尊像にも胡粉下地をし、その上に彩色を施しています。水晶による玉眼嵌入し墨・金箔・弁柄を用いて目を書いています。解体したわけでありませんので、確かなことは言えませんが、指で叩いてみるとかなり薄く内刳りが施されているようです。中央系の佛師の作と思います。

 尊像の全体を見てみますと少し大きめな頭部は、髪の毛を逆立て(怒髪)、憤怒の相です。天冠台には、大日如来像に見られるような、頂蓮を戴き右手には真鍮板を打ち出したと思われる真鍮製の剣を持ち、左手には羂索を持っています。この像はいろいろの資料や、また持物を照らしても八部衆の儀軌による「迦樓羅像」とは考えにくいのが現在の私の考えです。

 膨大な資料の中から、この像とたいへん似通った写真を見つけましたので、添付しておきます。言い伝えによれば、「烏天狗様」とも「金比羅様」と呼んでいたようなのですが、言い伝えられている「金比羅権現像」ではないかと推量いたします。

 まだまだ不勉強で申し訳ないのですが、垂迹佛、特に権現などについては、分からないことだらけです。この間、資料として頂いた「大内町の神社」は、鳥海山を中心とした修験者も多くおられたようなので、いずれ密教系の山岳信仰のために作られた像と思われます。(飯綱権現は、本地が不動明王)なお、権現像・迦樓羅像ともに私の知る限り、大変珍しい尊像です。私の叔父で秋田県の文化財の専門委員をしていた佐々木素雲の調査資料にもすべて目を通しましたが、この像に類するような像は秋田県の調査資料には見あたりませんでした。
      
目の拡大部分                  金比羅権現立像 長全寺(千葉)


迦樓羅(Garula)


蘗魯拏(ガルダ)とも記し,通称金翅鳥のことである。インド神話時代の空想の鳥である金翅鳥から発展し,八部衆の一として, 鳥中の王と目され,竜を捕えて常食にすると云われる。人身鳥頭,時に殆ど全く鳥形をなす。主として@二臂,時にA四臂の像容を呈す。胎蔵界曼荼羅の外金剛部南方に位置すする。尚これが風天を観ずるときは,B千頭千臂の形像を現し,千頭風天と呼ばれる。何れもその単独な作例は殆んど見られない。

く経軌>

@「現図は摩呂阿修羅衆左の内にあり。鳥頭人身,髪髻,翼あり,周身黄色。或図は肉色,二手篳篥(ひちりき)を執りて吹く。面は左方を向く。山図は横笛を吹く。荷葉に坐す。」<諸説不同記,第八,大正蔵図像1−107中〉
「蝋を以て大身蘗魯荼王(がるだおう)を摸捏(もてつ・真似て捏ねること)す。結跏趺坐して身量八指,両翅にして股を開き首に華鬘を戴き,面状は神面,觜状は鷹觜,右手には九頭四足の蛇龍王を把り,左手には三頭四足の蛇龍王を執る。」<金剛光焔止風雨陀羅尼経,大正蔵19−‐733中>
「身相青黒色,面門妙翅鳥,威勢は裸形の相,人身に羽翼を具し,左定は拳を腰に着け,右慧は金剛鉤なり。」<摂無擬経,大正蔵20−137中>

A「当に尊儀を作るべし。其の身を分つに臍より己上は天王形の如し。唯鼻のみは鷹の觜の若くにして線色に作る。臍より蠡己下は亦鷹の如し。蠡駱(れいらく)寶冠,髪もくに披る。臂腕には皆寶冠環釧,天衣瓔珞格あり。通身金色。翅は鳥の如くにして両つながら向って舒べ,其の尾向って下に散ず。四臂あり。二正手は大印を結ふ。両手の指頭は相交えて左で右を押す。虚心合掌し印を以て心に當つ。余の二手は垂下し,五指を舒べて施願の勢をなす。其の觜,脛及び爪皆是れ綵金剛寶の成す所,金山の上に一金架あり。金架上覆うに錦衾を以てす。本尊は衾上に於て正立して盆怒形を作る。」<迦留樓羅王及諾天密言経,大正蔵20−334上>

B 「迦棲羅五大天観門。(その一)凡そ風天を存念する者は,其の尊の相好は択びて衆山の如し。青黒色。千頭を具足す。大猛健あり。二千目一千警。衣は黄なり。」く迦棋羅王及諾天密言経,大正蔵21−334下>2
          佐和隆研著「図像」より


プロフィール

齋藤 雅幸 1942年2月生まれ。
 1960年秋田商業高校を卒業と共に、家業の7代続いた佛師の仕事を見習う。昭和55年7代目死去の後から本格的に佛像を彫り始める。国内・外の彫刻や佛像を拝観のため各地をまわる。師匠は7代目憲一。3年余にわたり京佛師松久朋琳氏より通信にて手ほどきを受け、現在にいたる。

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