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「菩薩型阿弥陀如来」資料編

齋藤 雅幸  1998年8月7日



菩薩型阿弥陀如来資料編


1)阿弥陀堂縁起古文書

2)胎蔵界曼陀羅尊位現図抄
  私巻第一
  ☆西方無量壽佛


3)阿裟縛抄巻第五十三
   (阿彌陀)


4)妙観察智について 

5)家伝「康朝・嘆願書」


6)阿証・千体佛

大日所変阿弥陀如来

 資料編

 阿弥陀堂縁起


外観 桐箱入軸物一巻 幅三四、二a
   箱内に「開眼疏」が下敷となって同封されているが、巻物とは無関係のものである。
箱上書き秋田御城内御安置阿弥陀如来縁起

本文   阿弥陀堂記

 羽州秋田城内の阿弥陀堂わ
源君中将義宣公当国に封せられ神明山をあらため居城に 築き給ひてのち元和年中草創まします所也
 彼御堂は三間四面にして西方の三尊を安置し給ふ
  本尊御高一尺五寸、二脇士くはんをん、せいし、
   御高各九寸五分
 みな蓮臺に立て来迎の相を現はし梵容妙にして金色の 肌を耀かし給ふ
 されば我寺の初祖文冏上人の筆記に曰
浄光院殿天英公わ仁愛よつの民を残し給はす恩澤六の群にあまねし神社を敬ひ佛乗を信したまふ
 元和五年つちのとのひつし秋葉月佛工をして三尊の立像を作らしめ恒に礼拝念誦し給ふとあり
 又第三世恕願上人の筆記に曰
少将義降公武陽へ聘礼参勤し給ふ折には幡随院の和尚と遊ひ其情こまやかなりし
 ある夜の御夢に先君天英公告て宣く
 我三尊を州の城に安置すおこともし社稷を栄久に保ち四民を堅固に育はんとおもはゝ猶かの三尊をめ敬ふへしとのたまふかとおほせは寤て暁(あかつき)の空晴ぬ
明る日其御有さまを和尚に語らせ給へは幡随院の曰
実君わ世々三寶を信敬し給ふ故にかゝる霊夢にましさすならむなを徳を修め厚く行ひ給はゝ百世の子孫弥さかえ国富民ゆたかなるへし
 以上記文の大略なり
抑此御堂わ本丸の北に建て東を面とし西を背とする事は詣て拝する折からはおのつから西方に向ひ恭敬の教に背かさらしめむとの御こゝろにや有けむ
前に清潔き泉を汲て六根の垢を滌きうしろには常盤の松を栽て千歳の寿きを祝ふ
三障に丹朱の彩りを施し燃灯ともに輝き上下には金玉のたくみあさやかに幡蓋の荘厳をとゝのへ佛閣の威光を増す寔に城中無比の壮観なり
初て三尊を安置するの日は文冏上人を延て開眼供養あり剰腴田三十石の印知をもて永く正覚山に寄附せられ其職事を任ふの賜となし給ふ
此故に其像を修め其堂を治ることにかならす当山の住持其導師にまいりて専ら法要を掌る
当寺四世覚応上人そののち十一世梵譽上人おなしく十四世良光上人皆其事に預りし人共なり
 奠供礼懺の事わ委しく別記みしなり
 又年ことに
天英公の御忌日正月廿五日又盂蘭盆の次て文月十六日この二節当山の住持を請せられ彼佛前において称名念誦の所作ありて国家安寧の祝辞を伸しより永き規とは成侍る
 頃年おほやけの御事繁きに紛れてや其事漸く疎くなりけれはおのつから彼所作も愈り侍りぬ
 愚僧か老師住職の間潜にこれを歎きけるに今歳享 保丁酉(二年)七月十四日
当君命をいたされて舊式のことく二節の法会ありて今 よりのち更に歳々怠る事なかるへしと誠に絶たるを 継すたれたるを興し給ふの 御志し猶積善の餘慶ましまさゝらめや
臣僧 うやうやしく
高命を仰ぎうけ玉はりしより師父衆弟歓喜浅からすみな遥拝祝賀し奉る老師愚僧をして此あらましを誌さしめて後の住職につたふる事とはなりぬ

 頌曰
   雲行雨施真如界
   日出月残即寂光

   當下能修弘誓願
   晩蝉吟處自西方
    自西方
   誰識無量寿佛郷

 惟年享保歳次丁酉七月既望秋田正覚山誓願寺
         十五世住持沙門良聲巌通
                         謹識
   贈正覚山主書
 秋田城内阿弥陀堂記わ正覚山誓願寺當住良聲の作れる所にして其言美はしく事を記せるや詳也
 予今秋始て是を見る三復三歎のあまり曾て聞る所の故実を草書し猶考勘の一助ともなれよかしと彼山主に送り侍る
 往時
義宣君の母公恒に阿弥陀佛を尊信ましまして奇子を産む事を念願したまひける
 一夜阿弥陀佛懐中に入と夢見てのち胎み給ふ
 月を重ね生れ出給ふ所の 御子は即公也
 其霊夢の瑞を感し公の御産名を弥陀丸と稱し給へりと此事正しき記文なしといへとも口々伝る故実弃へからす
 恭しく惟るにいにしへより弥陀佛を以て  八幡大神宮の本地とせり
 是乃源家の氏神にして御当家城中別に曲輸を もふけ八幡社を鎮祭し給ふも故国よりの旧例 也
 夫神わ霊明厳然たれはおのつから敬ふて遠さ くる所也又佛わ和光同塵たれは自然に信して 近つくる所なりされは公居のかたわらに阿弥 陀堂を建立し玉常々供養渇仰ましまししも誠 に所由ありて代々の君公其芳躅を追給ひしも 亦豈小縁ならむや殊に
 当君仁厚の御志し深く衰へたるを盛んにし廃 れたるを興し給ふ事の有かたきを仰き奉り又 更に正覚山主の能其事を勤したるを歓喜して 猥りに寡聞の陋説をすすめ略述るものしかり

 維持
 享保十六年辛亥秋八月
        公族 臣 今宮大学義透謹書 花押

右阿弥陀堂記一軸今歳享保辛亥冬 臣知據 蒙筆者之 高命仍雖醜毫之拙不能固辞之偕清書之即被奉納 城中御堂也
干時深谷藤左衛門廣憲 御膳番當役事 依為正覚山之檀徒

奉任此般之始終而勤仕之故為亀鏡有同紙之草稿令家蔵之者也

            干時社寺奉行
                 茂木佐太右衛門
                  源知據 花押

(注)以上は一軸の中に順次書かれて折り、巻物の
    下敷きとして同封されている一紙「開眼疎」
    は無関係のため翻刻を省略する。

胎蔵界曼陀羅尊位現図抄私巻第一

 
西方無量壽佛
大日經云。西方仁勝者。是名無量壽。持誦者思惟。而佳於淨室。疏云。於西方觀無量壽佛。此是如来方便智。以衆生界無盡故。諸佛大悲方便亦無終盡。故名無量壽。梵音爾?名爲仁者。又以降四魔故名爲勝者。故偈具翻其義謂之仁勝者。此二佛亦作眞金色。稍閉目下視作寂滅三昧之形。諸佛例如是也已上疏文?以如来方便利益衆生無終期。號無量壽。降伏四魔勝餘尊。故稱仁勝。其名稱?聞
問。此尊種子如何。答。四種阿字中邊際暗字是。?西方涅槃方故。用此字也。重問曰。常彌陀種子キリ−ク字也。何不用之耶。異常彌陀。此八葉九尊皆大日所變也。故四方四佛皆バク字以爲本體。四方點加也。是則中臺從法界體性智流出四方四智意也尊色黄金色。是修
行圓備色。眞金者不可破壊義

印相。妙觀察智定印者。或記云。彌陀六道衆生病體爲縁入妙觀察智定。是衆生塵勞無盡觀察與妙藥意歟
阿娑婆抄云。阿彌陀阿彌利帝梵語也示云。廣略也此翻無量壽無量光。又正云甘露。故大呪云十甘露明。依之甘露王如来云。服甘露不老不死故。名無量壽。又云。甘露者天上樹汁起云ゝ妙觀察智印在軌金剛合掌。開掌仰安臍。舒二風背相捻二空輪。眞言曰。?三摩地半度迷訖哩娑?訶已上阿抄ニ見タリ竹五云。轉第六爲妙觀察智乃至妙觀察智遍於三身矣轉第六識成妙觀察智。是則著六意識心王觀時。行者心地?彌陀顯義也。身口意三業?彌陀也。バク喉内彌唇内陀舌内止二云。歩ゝ聲ゝ念ゝ唯在阿彌陀佛文私云。歩ゝ身業。聲ゝ口業。念ゝ意業文阿娑婆抄云。密號清淨金剛胎金同之經云。一念彌陀佛?滅無量罪矣無量億劫業障一念消滅。所念衆生令清浄故。浄土極楽化主清浄云尤以其義相應

阿裟縛抄巻第五十三(阿彌陀)


次入三摩地無量軌云。觀自在菩薩三摩地
已下無量軌文
觀自身中。圓滿潔白猶如浄月。仰在心中。於淨月上。想訖哩字。放大光明。其字變成八葉蓮花臺。臺上有觀自在菩薩。相好分明。左手作蓮花。右手作開花葉勢。作是思惟。一切有情身中。具有此覺悟蓮花。清淨法界。不染煩悩。於蓮花八葉上。各有一如来。入定結跏趺坐。面向觀自在菩薩。項佩圓光。身如金色。光明晃曜。?想此八葉蓮花。漸舒漸大。量同虚空。觀了。定中誦?婆裟羅跛娜麼?作是思惟。以此覺花。照觸如来海會。願成廣大供養。心不移此定。則於無邊有情。深起悲愍心。以此覺花蒙照觸者。於苦煩悩。悉皆解脱。等同觀自在菩薩。?想。蓮花漸ゝ收斂。量等己身。想已誦
 帖云。八葉花收斂。量等己身。?己身 成觀自在。前八葉如来等。共成一體。 次慥可決申也云ゝ師云。八葉如來。共成 冠中一如来形住也。自身?同臺上觀音。 蓮花變同共成觀音歟云ゝ

集經第二。大身呪同之。但文句少ゝ
闕 世號十甘露明云ゝ
還救
 地藏房云。九句阿密慄帝。九品浄土心也云ゝ
 已上觀自在三摩地自昔義云事也。因圓果滿義等云ゝ彌陀觀音同一體也。因位名觀音果位名彌陀。凡夫佛道修行成正覺。極位時節。自因至果義歟。所詮同事先觀音成身次觀音成彌陀歎云ゝ。
 帖云。無量軌意。先入觀自在三摩地。而後成彌陀如來也。如後心金剛薩?。成大日尊也。而軌八葉上。一ゝ在如来者。?彌陀如來也。謂因位果傍因正也。故以果佛安傍也云ゝ
 此義不感心。因菩薩一體。果如来八身之故也。因若一。果又可一。果八。因可八也云ゝ
 帖云。於八葉觀八如来。謂阿彌陀如来也。臺上觀自在也。其由如先日説。抑西佛是第六意識之變也。?肉團八葉心處心是也。故約彌陀論之耳云ゝ
 私云。帖決如後心薩?。成大日尊者。凡此法成身大旨先成觀音。次成彌陀也。今軌大旨尚是薩?行法心也。其觀音者。最後心菩薩也。理趣釋名法金剛非極楽補處弟子觀音。金剛界四親近中法菩薩也。?是等覺後身受職薩地也成彌陀者。妙覺究竟毘盧遮那也。臺上觀音等覺一轉入于妙覺。名觀自在王如来也阿彌陀別名也 天冠瓔珞形者。是首陀會天成最正覺?幟也。?上品上生教主自受用身佛也故不空三藏金剛頂三摩地禮懺云。受用智慧身阿彌陀佛。云々葉上八佛者 軌不委歟。成阿彌陀自受用身。出八如來葉上。令坐八葉上可思念歟 是上品中生以下。教主他受用應化身歟。付極樂九品。且成此義也。
 師云。觀心月有九重者。表九識也。今中臺菩薩八葉觀九佛。又九識反作意歟。?九體阿彌陀也。中臺尊?第九無垢識也。極楽九品相分意有之歟 問。顯教常途義。娑婆人業不同故。浄土有九品云ゝ答。是又一途義邊歟。但九識九品云。只是私義也 問。准金界五相之心。觀自在菩薩者。後心薩?也。?變作彌陀上品上生教主云冥道理極。但文證頗闇何。答。其明文?無量壽軌也。所謂結觀自在菩薩印〇由○此印誦眞言加持故。?自身等同觀自在菩薩。次結無量壽如来根本印云々加之。理趣釋云。若人持此一字眞言訖里字真言也能除一切災禍疾病。命終已後。當生極樂國土。得上品上生文故知。後心薩?持此眞言。能除最後品災禍疾病難。斷元品惑。命終已後。得成上品上生教主也。故今宗意云。現世證得初觀喜。後十六生成正覺也。命終者。?此十六生之義也。然則上品上生者。第十六成正覺究竟果也。此?大瑜伽曰。應滿足普賢。方成最正覺。大同耳 問。觀經明上品上生人行相中云。阿彌陀如來與○百千比丘聲開大衆○演説妙法。聞已。?悟無生法忍文若爾者。是非法佛刹土歟。有聲聞弟子。又聞法得無生忍。此初住地可得盆故。更不可云自土何。答。凡顯密二教。行儀金水火也。今經且約娑婆凡夫行人。明應佛粧也。爲韋提希婦人説之。部屬方等。以此經意彼三摩地行相不可比況者也。就中此三摩地法秘之中深秘也云々 問。觀音一印法。有此三摩地。但不用彌陀印明故。觀音一菩薩法也。不可有九品。然者八如来何。答。觀音。心中妙觀察智也。此菩薩成菩提。佛?阿彌陀也。正雖不成阿彌陀心中八如来。何不顯現。此?菩薩未成佛時儀式也。然則因中性得有性爲令知教示此旨云ゝ
   禾云。凡此三摩地事。息心抄中廣  決之
問。中臺觀音成阿彌陀之時。猶持蓮花歟。師曰。爾也。五佛寳冠持開敷蓮花也。理趣會曼荼羅圖中臺阿彌陀五佛寶冠持三莖蓮花。前葉法菩薩。一佛寶冠持未敷蓮花也云ゝ
觀自在菩薩印明。羯磨會法菩薩印明也。想。此菩薩等覺後身受職薩?也。斷五住迷圓滿五分法身。開散五指此心歟。念開合蓮。云等覺一轉入于妙覺也。次無量壽印八葉印也。眞言大呪。想蓮花臺觀自在菩薩依訖哩加持。入妙覺海。居寂光。都是?妙覺究竟毘盧遮那也。上品上生教主也。在因位名觀自在菩薩。至果位?稱觀自在王如来。不失昌本名云ゝ
住云。中臺居觀自在。八葉居阿彌陀。是觀音等覺無垢之大士。隣極位。仍蒙果佛加可成佛之故。中臺居之也。八葉佛是印可之料也。以之爲觀自在三摩地也。人不得意也云々
 此法。以觀自在三摩地爲究竟秘事云々
  私云。軌云。分有八曼荼羅文自上古 説。依八大菩薩蔓荼羅經云ゝ然者。觀。 慈。虚。音。金。文。除。地八菩薩 印。可結。之。其印明大教中有 之 云ゝ


宝冠装身具を外した
阿弥陀如来


妙観察智について


 四智(五智)
  1.大円鏡智
  2.平等性智
  3.妙観察智
  4.成所作智

 唯識
  六根をよりどころとして、色・声・香・味・触・法の六境を認識する六つの働き。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識をいう。
 
 第六識 眼・耳・鼻・舌・身
 第七識 識(四智)
 第八識 未那識
 第九識 阿間羅識  

◎人の智力は理性のような形(人の普通経験 する智力)
       ↓
  意識下に置いてしか働かない
       ↓
  少しずつ順順にしか分かっていかない

◎見ようとすれば見える
       ↑
  無差別智(四智)が第六識に働くためである

◎立とうとして立てるのは
       ↑
  妙観察智が第九識に働くためである

◎人が知覚し運動することができるのは
       ↑
  無差別智が第九識に働くためである

◎無差別智は何に起因するのか
       ↑
  如来の光明(無辺光)

◎仏道修行などの時→無意識裡に働いて→
  
  一時にぱっと分かる→無差別智→四智

◎無意識の底→無意識界がある=深層心理

        識
        ↓
  転ぜられて→「智」となる
        ‖
      転識得智


家伝 康朝嘆願書

一本朝大佛師之始りと申は正暦二辛卯四月於
 禁中涼殿御八講御執行御本尊釈迦
 三尊元祖定朝法印彫刻有りし處其頃
  正暦二辛卯年より
  寛政四壬子まで八百二年なる
一人皇六十六代一條院帝宇成りけるに右佛躰に
 奇瑞ありて定朝替被為召替以来日本の
 諸宗一宇之本尊彫刻すべしとて
 禁裏地下官人列に被仰付家領山城国田中
 村おいて頂戴し又御役儀として
 御所々々様御星尊像毎歳変に為御吉例
 彫刻奉獻依日域大佛師勅許被成下
 往古は勿論 御當代今もって
 禁裏様御所々々様ご用関東御用
 共不残私家より難有新彫刻調進仕候故
 是迄諸国御寺院一宇御本尊等彫刻調進
 仕束り侯附諸国御寺院方往古より家筋
 御存知被遊侯御方には不相変追之御用
 被仰付侯段難有奉存侯然し尤御国々江
 相廻り頼侯義は前々より不仕侯に付自然中施
 仕御用も変わり相成侯間何卒往古之由緒
 思召被下珠に本家之義而右家領も頂戴侯
 罷有侯故御入料之金銀には拘り不申下直に
 状情調進不仕侯而宇之御本尊迄申は
 別段家伝秘密之作法禁手半之寸
 尺並に唐尺等迄元祖伝来も有之尤諸佛御影等は
 御面相生写之伝授御座候義にて元祖定朝
  より私共迄血縁相続仕候大佛師と申は私
 家に限り候義に御座候故 御神躰御佛像
 多少に不限り被侯付て被成下候近年ご不因に
 相成候に付此度為弘私名前処付書記差上候間
 職分御用之節は何而も此書付を以御尋可被下候
 様に奉頼候随分相働料物下直に仕下地より
 入念結構に仕立差上可申候間御用被侯付
 被下候様に奉頼上候以上

              六代 運慶法印
  日域惣本家元祖定朝法印
              七代 湛慶法印

禁裏
   御用所大佛師師職
関東

 正統當持三十世
          法眼七條左京 康傳
 同苗三十一世
          法橋七大貳  康朝
 京室町通錦小路上町東側

    仁和寺御佛所
         北川運長作    安永9年庚子春(1780)

プロフィール
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